どぼく の いままで

わたしたち の せいかつ を かいてき に してきました

大井川橋

しゃしん は しずおかけん の おおいがわ に かかる「おおいがわばし」 です。
このような はし が できること で、わたしたち の せいかつ は とても べんり に なってきました。

もし はし が なかったら、わたしたち は かわ を およいで わたらなければ なりません。
きみ が いつも なにげなく わたっている はし も どぼく の しごと が がんばったから そんざいしているのです。


鬼ケ城隧道

かわ を こえる どぼく も あれば やま を つらぬく どぼく も あります。
しゃしん は みえけん の くまのし に ある「おにがじょうずいどう(トンネル)」です。

もし、この トンネル が なかったら、わたしたち は やま を のぼらなければ なりません。
きみ が いつも なにげなく とおっている トンネル も どぼく の しごと が がんばったから そんざいしているのです。


これら の どぼく の たてもの は、おも に めいじじだい から つくられました。
がいこく の ぎじゅつ を つかって つくられたから です。

いま、わたしたち の め に うつる どぼく の たてもの は、めいじじだい いこう の もの が おおいですが
ふるい ていぼう など は、もしかしたら えどじだい に つくられた ものかも しれません。